プロ野球歴代最強特集

プロ野球・埼玉西武ファンが考えるライオンズ歴代強打者TOP3特集

アイキャッチ引用:Lionsstore

こんにちは、橘裕司です。

今回は、埼玉西武ライオンズファンの方に、同球団の歴代強打者TOP3についてまとめてもらいました。

とても面白い内容になっていますのであり、ライオンズファンの方は共感を覚える内容だと思います。

橘裕司
橘裕司
こっちも面白いよ

はじめに

埼玉西武ライオンズ(以下ライオンズ)の球団創設は、1950年になります。その後現在のライオンズに至るまでの変遷は下記になります。

  • 1950年:西鉄クリッパーズ
  • 1951年〜1972年:西鉄ライオンズ(1951年の開幕直前に西日本パイレーツを吸収合併)
  • 1973年〜1976年:太平洋クラブライオンズ
  • 1977年〜1978年:クラウンライターライオンズ
  • 1979年〜2007年:西武ライオンズ
  • 2008年〜:埼玉西武ライオンズ

チームとしての成績は、日本一13回達成しており、これは巨人の22回の次いで12球団中2位、リーグ優勝は21回達成しておりパリーグトップ(2位はホークスで18回)の強豪チームです。

特に1982年から1994年の13年間では11回のリーグ優勝、8回の日本一を記録しており圧倒的な成績を残しています。

2004年以降は2回の日本一を達成しており、Bクラスは5回と比較的安定した成績を残しています。

成績を良い時は「投手王国」と呼ばれ、安定した投手力と守備力を中心に手堅い野球のイメージでしたが、打力も優れていました。

特筆すべきは、外国人選手以外は「生え抜きでオーダーを組むことができている」点になります。好成績を残している時代もその傾向がありましたが、近年もその傾向は変わっていません。

下記のリンク先に今シーズンのスターティングメンバー一覧がありますが、メヒア選手、出戻りの松井稼頭央選手以外は生え抜きになります。

参考:埼玉西武ライオンズ スタメン一覧

なお2018年は、親会社が所有する西武鉄道から公式では「エクスプレス打線」とネーミングされていますが、ネット上では「山賊打線」と呼ばれています。

これは、太平洋クラブライオンズ時代が初出となりますが、2018年は打線が好調であるということ、相手投手陣が崩れ出すと大量得点することから「品がないほど点を取る=山賊」というイメージから「山賊打線」と呼ばれています。

本拠地はメットライフドームになります。屋根はあるものの壁が無く、日本で唯一「場外ホームランの出るドーム球場」となっています。

今回は、そんなライオンズの歴代最強打者TOP3を紹介します。

なお今回選定するにあたっては下記条件を設けました。

  • 日本人であること
    ライオンズは歴代の外国人選手に強打者が多く、外国人選手も含めてしまうと、TOP3を選ぶのが困難になってしまうことから、外国人選手は除外することとしました。また生え抜きだけでも選定に迷ってしまうことも理由になります。
  • 1985年以降の入団であること
    実際にプレーを見たことが無い選手を選ぶことに抵抗があり、筆者がプロ野球を見始めたのは1990年代後半であることから、1985年以降入団の選手としました。
  • 他球団の在籍が有る選手はライオンズに8年以上在籍の場合は選定対象とする
    生え抜きの強打者もいますが、他球団に行った/他球団から来た選手も紹介したいため、このような基準を設けました。

それでは下記より紹介させて頂きます。

松井 稼頭央

引用:デイリーペディア

PL学園高校から1993年にドラフト3位でライオンズに入団。高校時代は投手として活躍していましたが、野手として指名され、登録も野手登録となりました。

プロ入りの前に数球団から接触があったものの、他球団からも野手として指名があったことから、プロ入り前から野手としての評価が高かったことが伺えます。

また、入団当時の登録名は松井和夫でしたが、1年目の開幕前には現在の松井稼頭央に登録名を変更しています。

1年目から「全身がバネ」とされる身体能力から、打撃と盗塁は2軍では非凡な成績を残すも、守備・走塁技術には問題があり下積みを重ねました。

シーズンオフには、スイッチヒッターに挑戦。これは右打席のスイングから、右半身(特に右腕)の力が強いと感じた当時のコーチのアドバイスがきっかけでした。

2年目は持ち味のスピードを活かし、1軍での代走から出場機会を獲得。3年目は開幕から遊撃手のレギュラーを獲得し、2003年のライオンズ退団までレギュラーとしてチームを牽引しました。

2003年オフにFA権を行使し、2004年から2006年途中まではニューヨーク・メッツに在籍。2年連続開幕初打席連続ホームラン、2006年はシーズン初打席にホームランを放つなどしましたが、怪我もありシーズン通しての成績は芳しくありませんでした。

ただし守備は高く評価されました。2006年途中から2007年まではコロラド・ロッキーズに在籍。特に2007年は、規定打席は未到達ながらチームの核としてワールドシリーズ出場を果たすなど活躍しました。

2008年から2010年まではヒューストン・アストロズに在籍。2010年以外はレギュラーとして活躍しました。2010年途中に放出され、ロッキーズに入団し、シーズンオフには東北楽天ゴールデンイーグルス(楽天)に入団し、日本球界復帰。2017年まで在籍し、遊撃手や二塁手、外野手まで、チーム事情で守備位置を変えながら成績だけではなく姿勢でもチームを引っ張りました。

2018年からテクニカルコーチ兼任としてライオンズに復帰。選手としては晩年と思いますが、まだそのプレーは健在です。

身体能力を活かし、守備のポテンシャルも高く、ゴールデングラブ賞4回ながら、広大な守備範囲を強肩を活かした守備はメジャーでも評価されました。

愛称は、同時期に活躍した松井秀喜氏と対比し、「リトル松井」、「リトルゴジラ」と呼ばれることがあります。

背番号は7番のイメージが強いですが、移籍回数も多くそれに応じて多くの変遷を辿っています。1994年〜1996年、2011年は32番。1997年〜2003年、2007年、2012年からは7番、2004年〜2006年途中が25番、2006年途中から終了まで16番、2008年から2010年は3番を背負っています。

選手としての特徴

スイッチヒッターでありながら、左右打席で広角に打球を打ち分け、長打を放つこともできる打者になります。打撃タイトルは最多安打2回(1999年、2002年)のみですが、毎年タイトルの10傑に名をツラネていました。

打順が1番であることから、レギュラー定着直後は出塁率を重視しており本塁打は10本未満でしたが、トレーニングやモデルチェンジ(うねり打法)により年々長打力が上がり、2002年・2003年は30本塁打を記録し、2002年はトリプルスリーを達成していました。

なおこれはスイッチヒッターとしては初であり、唯一となっています。走力を活かし、二塁打・三塁打が多いことも特徴です。日米通算の安打数は2699本となっており、歴代4位で両打では1位となっています。

本塁打は日米通算で233本を放っており、日本人の両打選手で2000本安打、200本塁打を記録している唯一の選手になります。

試合数の2513試合に対し、2699安打と安打数が試合数を大きく上回っています。

1番バッターでの出場が多いものの、通算で四球数が60個を超えたことシーズンはなく、積極的なバッティングが持ち味になります。

帰国前までは出塁率は安定して3割後半を記録しており、日本通算では.344を記録しています。

盗塁は通算で362盗塁(日米通算464盗塁)記録しており、これはNPB通算では15位となっています。近年では走力の衰えに数の減少はあるものの、成功率はあがっており、通算での成功率.819に対して楽天時代は.848と高い数字を残しています。

なお1997年のオールスターでは盗塁阻止率12球団No.1の古田敦也氏から4盗塁(うち三盗を2個)を決め、1試合4盗塁、1試合で三盗2回の2つの記録を達成しました。

記憶に残る打席

2002年に、当時毎年行われていた日米野球でのホームランを紹介します。1打席目は左打席で内角の球をライナーでライトスタンドへ。

3打席目に右打席で真ん中高めをレフトスタンドへと左右の打席でホームランを放ち、メジャーのスカウトたちの度肝を抜きました。

西武時代ではありませんがメジャー在籍時の2004年と2005年の開幕戦で放った本塁打を紹介します。日本人の最強内野手のメジャー挑戦という期待感の中で、開幕戦の初打席でホームランは、当時に日本中の野球ファンがしびれました。

中村 剛也

引用:number

大阪桐蔭高校から2001年ドラフト2位でライオンズに入団。現在に至るまでライオンズ一筋で現役を続けています。

高校時代からその長打力は注目されており、3年夏の大阪予選では6本塁打、高校通算では83本塁打を記録しました。

1年目は1軍出場は無かったものの、2年目は2軍で本塁打王を獲得、1軍での出場機会を掴むと、3年目の途中からは1軍で三塁手の出場が増え、他選手との併用を経て、6年目の2008年からは4番・三塁としてとしてレギュラーに定着しました。

その後は主軸として活躍するも、2017年シーズン終了時点では、全試合出場1回、規定打席到達回数が7回となっており、怪我が多く、戦線離脱が多い選手でもあります。

走塁に関しては、100kgを超える体格を考えると走力も有り、コーチやチームメイトからも走塁センスに関しては評価されています。

守備に関しては三塁手が主でしたが、近年では守備負担軽減のため一塁手での出場も増えています。守備では打球反応が良く守備範囲は広いですが、捕球が不安定かつスローイングに難があり、リーグ最多失策も3回記録しています。

愛称は「おかわり君」であり、これは本人の好きな言葉だそうです。また、複数のホームラン・タイムリーを打った際には「ホームラン(打点)をおかわり」と言われることもあります。背番号は入団当初から一貫して60番を背負っています。

選手としての特徴

典型的なホームランバッターであり、「7割の力でもスタンドへ運ぶことができる」と自負する長打力が特徴になります。外野へのフライの30パーセント近くはホームランとしてしまうパワーを誇ります。

規定打席到達7回のうち6回で本塁打王を獲得しており、これは歴代3位の回数になります。通算本塁打358本は現役選手中2位(1位は巨人・阿部慎之助選手)、歴代では28位になります。

また、パワー・技術だけでなく適応力も無視できません。統一球が導入されていた2011年と2012年において、他選手が軒並み成績を落とす中、2年間で75本の本塁打を記録しており、これは両リーグトップになります。

この点からもパワーだけでなく、環境に順応し結果を出す適応力が高いことが分かります。統一球で本塁打を打ちにはピッチャーよりでミートすることが大事とされていましたが、これに関して中村選手は「バットを長く押し込むこと」と「打者寄りのミートポイント」を意識していたそうです。

「長く押し込む」ことは、「右手で押し込む」ことでバッドに球を乗せ打球に体重を乗せること、「打者寄りのミートポイント」は変化球への対応のため、ぎりぎりまで見極めることが目的になります。

打率は通算で.252となっており、キャリアハイは.282です。これは本人も「本塁打の打ち損ないが安打」と考えており、基本的に軽打を狙わないことが一因です。

強打者ではありますが四球は少なく、積極的に打ちにいく打者になります。それに応じ三振数は多い傾向です。

1000三振到達は史上2位のスピードで達成。1位はラルフ・ブライアントであることから、日本人最速となっています。通算では1513個となっており、これは現役では2位(1位は広島・新井貴浩選手)、通算では13位となっています。

記憶に残る打席

2011年のオールスターで放った本塁打を紹介します。打った瞬間にそれと分かる当たりで、バットに乗せて大きな放物線を描く打球は、非常に中村選手らしいホームランになります。

秋山 翔吾

引用:number

横浜創学館高校から八戸大学を経て2010年ドラフト3位でライオンズに入団。1年目から1軍に定着し、球団の新人外野手としては30年ぶりの開幕スタメンでキャリアをスタートさせました。

2軍への降格を経験するも、再昇格後は守備力を活かし中堅手としてレギュラーに固定されました。2年目は故障もあり開幕2軍スタートなりましたが、打撃面の向上を見せ、打順も上位を打つ事が増えました。

3年目以降は、中堅手として打順は主に1番を打っていますがチーム事情によってはクリーンナップを打つこともあり、守備だけでなく打撃でもチームを牽引しています。

2013年から2017年の5年間で4回の全試合出場を記録しており、うち2回はフルイニング出場になります。

走塁に関しては、俊足を誇り1塁への到達が早いです。また、二塁打・三塁打も多く、最多二塁打1回、最多三塁打は2回になります。一方で盗塁は多くありません。最多で18盗塁を記録していますが、通算では85盗塁となっています。盗塁死も多く、通算での成功率は.644(85盗塁/47盗塁死)となっています。

守備は西武外野人で一番の強肩を誇ります。また脚力があることから守備範囲も広いです。ゴールデングラブ賞は4回獲得しており、現在は3年連続獲得中です。

背番号は入団から一貫して55番を背負っています。55番はホームランバッターが多いことから秋山選手のようなヒットメーカーが付けるのは珍しい番号です。今後はヒットメーカーの番号となるかもしれません。

選手としての特徴

アッパー気味の打球からライナー性の打球を放つのが特徴になります。2014年のスランプを経験した際、チームメイトの森友哉選手の打撃フォームを参考に、バットの位置を低く構えた結果、スムーズにバットがアッパー軌道で出るようになり、成績が飛躍しました。

ちなみに2015年のオフに巨人の坂本選手が秋山選手に「どういったイメージで打っているか」を訪ねた際に「アッパー気味のイメージで打っている」と回答したそうです。それをヒントにフォームを改造した坂本選手は、2016年シーズンにセ・リーグ遊撃手初の首位打者を獲得しています。

秋山選手の獲得している打撃タイトルは、最多安打2回、首位打者1回になります。無視できないのは「シーズン安打数の日本記録保持者」であることです。2015年に記録した216安打は、シーズン記録となっています。俊足であることから内野安打も有り、逆方向への打球も多く、卓越したバットコントロールを持っています。

1番打者で有りながら長打力もあり、走塁技術の高さも有り最多二塁打1回、最多三塁打2回となっています。二桁本塁打は4回記録しており、2017年シーズンは25本を放っています。長打率も安定して4割以上を記録しています。

また打点が多いことも特徴で、2017年シーズン終了時点で通算369打点を記録しており、1番打者としては多い傾向です。

シーズンの四球数が多いことから選球眼は良いと言え、出塁率は安定して3割後半をマークしており、通算は.368となっています。

記憶に残る打席

2018年シーズンも記事作成時点で10本の本塁打を放っている秋山選手ですが、その10本目の本塁打を紹介します。

巨人・菅野投手から放った初回先頭打者本塁打になりますが、高めのボール球で力あるストレートですが逆方向のスタンドに入れてしまうという、1番打者らしからぬ打球になります。

まとめ

筆者の独断と偏見で3人の打者を選定させて頂きましたがいかがだったでしょうか。ライオンズは黄金時代もあったことから、選定は難航しましたが、ライオンズに入団し結果を残した選手でも、他球団に移籍してしまう選手もいることから、他球団のイメージが強い選手も多く、泣く泣く除外した選手もいました。

例えば、福岡ダイエーホークス(当時)で現役を終えた秋山幸二氏、中日ドラゴンズで現役を終えた和田一浩氏、現オリックス・ブルーウェーブの中島裕之選手等です。

なお近年では打撃好調の中に「おかわり2世」と呼ばれ、日本代表の4番でもある山川穂高選手や中村選手の高校の後輩である浅村栄斗選手、森友哉選手等、これからも成績を残してきそうな若い選手が出てきています。他の選手も含め、これからの成長に目が離せない若手の多い球団といえます。

本記事が今シーズン好調のライオンズの選手や歴史を知るきっかけになる幸いです。


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