プロ野球・メジャーリーグ

【メジャーのキャッチャー特集】野茂の相棒・マイク・ピアッツァを徹底解説

アイキャッチ引用:AFP

これまで「イバン・ロドリゲス」と「ヤディアー・モリーナ」を紹介してきました。

どちらの捕手も名捕手であり日本でも有名な選手ですが、

30歳より上の年齢層の方にとっては「マイク・ピアッツァ(ピアザ)」も有名なキャッチャーだと思います。

理由は「野茂英雄のメジャーで最初の女房役」であったからですが、

話題だけでなく、捕手としては歴代トップクラスの打撃力を兼ね備えた選手でした。

一方では守備は酷評されることもあった選手でしたが、実際はどうだったのか。

本記事は、そんなマイク・ピアッツァについて紹介したいと思います。

橘裕司
橘裕司
ピザって覚えてました

マイク・ピアッツァ・ドジャース時代に野茂英雄のノーヒットノーランをアシスト

マイク・ピアッツァはアメリカ出身のイタリア系アメリカ人になります。

日本でニュースに名前が出る際は「ピアザ」と呼ばれることも多かったです。

主には捕手として試合に出場しており、打撃を活かしての一塁手、晩年は指名打者での出場もありました。

ピアッツァは裕福な家庭に生まれたこともあり、

家には個人持ちで広大な土地と打撃マシンを備えた打撃練習場もありました。

また父はトミー・ラソーダと親友でもありました。

この関係がピアッツァの将来に大きく影響します。

ピアッツァの野球のキャリアはリトルリーグから始まりました。

その際、足が遅かったことから監督には捕手を進められましたが、

一番好きなポジションは投手、一番嫌いなポジションは捕手だったため、カーブを修得し投手となったそうです。

高校では、捕手不足から監督から捕手転向の打診を受けましたが、

投手としての限界を感じていたものの固辞し、一塁手に転向したようです。

そのまま大学に進学しますが、全国的には無名な存在でした。

しかし1988年のドラフトで62巡目ながらロサンゼルス・ドジャースから指名を受けます。

これは、バットボーイをやった際に空いた時間でドジャースの打撃投手相手にした打撃をラソーダが見ていたことが理由です。

トミー・ラソーダ(Tommy Lasorda、本名:トーマス・チャールズ・ラソーダ(Thomas Charles Lasorda, 1927年9月22日 – )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ノリスタウン出身の元プロ野球選手(投手)・監督。

引用:トミー・ラソーダ

なおピアッツァは捕手として入団しており、リトルリーグ以来の捕手挑戦となりました。

また、入団前は無名であったこと、ラソーダとの関係から、「ラソーダのペット」という陰口をたたかれることもあったようです。

入団後はマイナーで捕手として経験を積みつつ得意の打撃を伸ばし、

1992年に初のメジャーデビューを経験すると、1993年春にチームは正捕手のマイク・ソーシアを解雇。

これによりピアッツァに対する風当たりが強くなりながら迎えたシーズンで打率.318・35本塁打・112打点をマークし周囲の雑音を黙らせると満票で新人王を獲得しました。

1994年はチームとピアッツァがシーズン開幕から好調だったものの、ストライキによりシーズン半ばで終了しました。

1995年はリーグ2位の打率.346を記録。正捕手定着から3年で「超攻撃的な捕手」としての地位を確立しました。

なお1995年は野茂英雄がドジャースに入団した年になります。

日本中が注目していた野茂の女房役であることから、ピアッツァの日本での知名度も大きく上がりました。それにより下記のようなcmまで放映されました。

1996年は打率.336・36本塁打・105打点をマーク。

守備面では野茂のノーヒット・ノーランをアシストしました。

1997年には40本塁打を記録しました。

なおこれは捕手として史上3人目のシーズン40本塁打でした。シーズンオフにはチームと契約交渉が難航。

1998年シーズン開幕後にはフロリダ・マーリンズにトレードで移籍。

さらにその1週間後にはニューヨーク・メッツに移籍。

結果的に三角トレードとなりました。

メッツではシーズン前半は結果が出ず批判を集めるも、後半にかけて復調させニューヨークのファンに受け入れられました。

1999年は40本塁打を放つなど活躍しました。

その後も3年連続で30本塁打をマークし主軸としてチームを支えました。

2003年には故障により正捕手定着以来最少の試合数となると、以降は捕手としての出場が減り、翌2004年は一塁手としての試合出場数が捕手としての試合出場数を上回りました。

7年契約が満了となる2005年オフにサンディエゴ・パドレスに移籍。

この年に開催された第1回WBCではイタリア代表に選出されました。

シーズンでは、捕手として限界に達していたものの、打撃では打率.283・22本塁打・68打点をマーク。

全盛期ほどではないものの、捕手としては依然として高い打撃能力を有していることをアピールしました。

翌年にはオークランド・アスレチックスに移籍。

これは捕手としてではなく、指名打者としての獲得であったようです。

2007年は怪我もあり出場試合数が減ったことから成績は伸び悩み、オフにFAとなると去就はきまらず、2008年開幕後に現役引退を発表しました。

背番号は、ドジャース・メッツ・アスレチックス在籍時は31番、パドレス在籍時は33番を背負っていました。

引退後は野球の普及に尽力・ピアザの背番号31番は永久欠番に

第1回引退後の2009年の第2回WBC、2013年の第3回WBCでイタリア代表のコーチを務めるとともに、ヨーロッパでの野球の振興に尽力しています。

2016年1月には、有資格者となって4度目の投票でアメリカ野球殿堂入りを果たしました。

殿堂入り時のロゴチームはメッツを選択。それを受けたメッツはピアッツァ在籍時の背番号である31番を永久欠番としました。

捕手離れしたピアッツァのバッティング成績

ピアッツァは実働16年の中で2,127安打、打率.308、427本塁打、1,335打点を記録しています。

捕手としての通算本塁打記録を持っていることもあり、打撃だけであればMLB最高の捕手であると評されることもあります。

打撃タイトルの獲得はありませんが、惜しいシーズンはあり、例えば1995年はリーグ2位の打率.346をマークしています。

正捕手定着以降、3割到達が11回あり、通算打率も高いことから、アベレージを残すことができるバッターでもありました。

四球数は強打者の割には多くはありません。

三振数は最も多いシーズンこそ93個ありますが、その他のシーズンでは80個以下のシーズンが多く、コンタクト能力に長けているバッターであることも分かります。

1993年から2002年までの間で、ストライキで短縮シーズンとなる1994年を除くと、毎年30本塁打・90打点以上を記録しており安定感もありました。

なお1993年から2002年までは捕手としてシルバースラッガー賞を受賞していました。

受賞回数10回はバリー・ボンズの12回に次ぐ数字であり、三塁手のアレックス・ロドリゲスと並ぶとともに、捕手として史上最多の受賞数になります。

打撃が良い一方で守備面は・・・

晩年こそ指名打者や一塁手としての出場が多かったピアッツァでしたが、

捕手としてのピアッツァの評価は高くありません。

特に盗塁阻止率が非常に低く、年間で三桁の盗塁を許したことが八度もあります。

肩はMLBの捕手としては弱かったものの、フットワークの機敏さがなく、捕球してから送球までの移行が遅いことも原因であったように思います。

なお体格が大柄(身長6’3″=約190.5cm、体重215lb=約97.5kg)であったことも要因と言えるかもしれません。

一方で野茂とバッテリーを組みノーヒット・ノーランに導くなどインサイドワークの面では結果を出しています。

これについて後年、ピアッツァは、

「ヒデオは基本的に速球とフォークボールの2つしか球種がない。そういう投手をどうやって打者三巡目まで成功させるのかってことを考えるだけで、自分の捕手としての能力が磨かれたような気がする」

といった内容のコメント出しています。

有名な捕手であるもののゴールドグラブ受賞がないことから、

守備の悪い捕手」のイメージがあるピアッツァですが、

セイバーメトリクスではイメージと違う結果が出ています。

盗塁阻止能力は低いものの、

キャッチング(フレーミング)や後逸の阻止について高い能力を有していることが分かり、総合的な守備能力は決して低くなかった可能性があります。

キャッチャーに求められる能力は盗塁阻止能力だけではなく、興味深い見解であると考えます。

まとめ

本記事ではマイク・ピアッツァについて紹介させて頂きましたが、今回調べるあたりイメージを大きく違っていた点が3点有りました。

1点目は「一発だけのバッターでは無かった」点です。捕手として史上最多の本塁打を放っていることから「一発だけ」のイメージがありましたが、高いアベレージを残していることが驚きでもありました。

2点目は「守備は悪くなかったかもしれない」点です。その盗塁阻止率とゴールドグラブの受賞がないことから、「守備が上手くない」イメージがありましたが、セイバーメトリクスは総合的には優秀であった可能性を示しています。

3点目は「最初は捕手をやりたがっていなかった」点です。晩年は周囲に「捕手をやめればもっと打てる」と言われても捕手に固執していましたが、アマチュア時代はやりたがっていなかったことも驚きでした。

日本でも馴染みの選手でもあることから皆さん様々なイメージをお持ちだと思いますが、

他の選手も調べてみると意外とイメージと違う選手も出てくると思います。本記事がそんな気づきのきっかけとなると幸いです。

P.S.ブルーノマーズがピアザの背番号31番を着用?

蛇足ですが、ブルーノマーズもピアザ選手のファンなのか(ただのパフォーマンスなのか)ドジャースの背番号31番を着用し、

ライブを行いました。

MLBやNBAの往年の名選手のネーム入りユニホームをラフに着込んだ7人組バンドを従え、自らもドジャースのかつての背番号31、マイク・ピアザのユニホームに身を包んだマーズが躍動。いきいき歌い、弾けるように踊り、時には達者なギター演奏を披露し、満員の観客をあおり、「旬」な勢いをこれでもかと見せつけた。

引用:朝日新聞デジタル

橘裕司
橘裕司
どういう意図があっての背番号なのかは闇の中だぜ

ブルーノマーズという偉大なアーティストが選ぶピアザの背番号、プレミアム感満載ですね。

橘裕司
橘裕司
なんか31番が好きになったよ


関連コンテンツ:



COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です