歴代甲子園優勝校等特集

『甲子園優勝校・歴代最強時代特集』明徳義塾野球部は2002年世代

アイキャッチ引用:時事ドットコムニュース

こんにちは、橘です。

夏の風物詩、甲子園では様々なドラマが毎年生まれますよね。

本記事では明徳義塾高等学校(明徳義塾)の歴代最強だと思われる年を紹介します。

橘裕司
橘裕司
春の選抜も出てたし、明徳義塾中学にも逸材がいるよね!
橘裕司
橘裕司
では早速参りましょう!

明徳義塾の通算成績

明徳義塾は高知県に所在していますが、須崎市に本校となる堂ノ浦キャンパス、土佐市に竜国際キャンパスがあります。なお野球部のグラウンドは堂ノ浦キャンパスにあります。

その明徳義塾の甲子園での通算成績は春(選抜)・夏(選手権)通算で58勝36敗を記録。選抜の出場回数は18回で歴代17位タイ、選手権の出場回数は19回で歴代21位タイとなっています。

なお選抜での最高成績はベスト4となっています。選手権での優勝は1回(2002年)記録しており、準優勝はなく、ベスト4は3回となっています。

選抜での通算勝率は.581(25勝18敗)を記録しており、選手権での通算勝率は.647(33勝18敗)を記録しています。

明徳義塾の通算成績で特筆すべきは「初戦に強い」点です。選抜/選手権で計37回出場していますが、初戦敗退は5回となっています。1987年から2011年までは20連勝を記録しています。

さて、全国でも有数の甲子園出場回数を誇る明徳義塾ですが、歴代最強だと思われる年は、選手権優勝を果たした2002年になります。では、次項から詳細を説明します。

2002年(平成14年度)の明徳義塾

2002年の明徳義塾は、秋季大会では高知県大会は優勝しましたが、その後の四国大会は惜しくも決勝で尽誠学園に1-2で敗れており、明治神宮大会への出場はありません。

2年ぶり10度目の出場となった選抜では、打線が繋がり効率良く得点するも、準々決勝で敗れベスト8となりました。

春季大会では高知県大会で優勝し、四国大会では、尽誠学園に12-1で勝利、秋季大会のリベンジを果たし優勝しました。

その後、選手権高知大会は危なげなく優勝。5年連続9度目の出場となった選手権では初優勝を達成しました。

国体では初戦となる準々決勝は勝利するも、準決勝で敗れベスト4となりました。公式戦通算では21勝4敗となっています。以下に選抜と選手権と国体の結果をまとめました。

  • 春の選抜甲子園
      1回戦 :明徳義塾7-4金光大阪
      2回戦 :明徳義塾7-2福岡工大城東
      準々決勝 :明徳義塾8-10福井商
  • 夏の甲子園選手権
      1回戦 :明徳義塾5-0酒田南
      2回戦 :明徳義塾9-3青森山田
      3回戦 :明徳義塾7-6常総学院
      準々決勝:明徳義塾7-2広陵
      準決勝 :明徳義塾10-1川之江
      決勝  :明徳義塾7-2智弁和歌山
  • 国体
      準々決勝:明徳義塾9-3智弁和歌山
      準決勝 :明徳義塾2-0帝京

選抜では危なげなく勝ち上がりましたが、準々決勝では接戦で力負けし敗戦しています。

しかし選手権では3回戦の常総学院戦での接戦を除き、5点差以上をつけ力の差を見せて勝利しており、投打ともにレベルが高く、総合力の高いチームであることが分かります。

国体でも総合力の高さは見せましたが、帝京戦では後にプロ入りする高市俊選手(元・東京ヤクルトスワローズ)に抑えられ、接戦の末敗れています。

明徳義塾2002年世代を選んだポイント

2002年の明徳義塾で特筆すべきは、選抜1回戦の金光大阪戦、選手権3回戦の常総学院戦以外では、5点差以上を付けて圧勝している点です。

エース田辺選手と鶴川選手を擁する投手陣は安定感があり、大量点を許しませんでしたし、打撃陣の得点力も二桁得点こそ少ないものの、安定していました。

選抜では3試合で1本に終わった本塁打も、選手権では6試合で7本に増加。優勝校としては多くはありませんが、1試合に1本以上はなっていることからも、得点力の安定感が分かるかと思います。

2002年の明徳義塾を語る上で無視できないのは、選手権3回戦の常総学院戦です。明徳義塾がリードして迎えた7回、セーフティースクイズで同点とされると、8回には守備のミスから2点勝ち越されてしまいます。

しかしその裏、二死から常総学院のエラーでランナーが出ると、2番沖田選手が同点二点本塁打。更に続く森岡選手の勝ち越し本塁打で逆転。

この劇的な二者連続本塁打で逆転勝ちを収めた明徳義塾は、その勢いのまま選手権を制しました。

この点から、総合力だけでなく、粘り強さ・勝負強さも優勝校にふさわしいレベルであったことが分かるかと思います。

明徳義塾が輩出したプロ野球選手

2002年の明徳義塾からは高卒からで2名がプロ入りしました。

森岡選手は、中日時代には成績を残すことができませんでしたが、ヤクルト移籍後は、2012年から3年連続100試合出場を達成。選手会長に就任し、チームをリーグ優勝に導くなど活躍しました。

現役は引退し、現在はヤクルトの1軍野手コーチ補佐として活躍しています。

なお引退理由は「イップス」だそうです。

原因不明ながら、キャッチボールが出来ないほどの送球イップスになったことから引退に至ったそうです。

本サイトでもイップスの記事がありますので一読をおすすめします。

森岡良介:

  • 中日ドラゴンズ(2002年ドラフト1位〜2008)
  • 東京ヤクルトスワローズ(2008年〜2016年)
  • 2002年の甲子園時の主な打順・守備位置・背番号:3番・遊撃手・6番

 

筧裕次郎:

  • 近鉄バファローズ(2002年ドラフト3位〜2004年)
  • オリックス・バファローズ(2005年〜2008年)
  • 2002年の甲子園時の主な打順・守備位置・背番号:4番・捕手・2番

まとめ

今回は2002年の明徳義塾を紹介させていただきました。

私自身、この記事を作成する前の、2002年の明徳義塾のイメージは「ドラマが少なく、危なげなく優勝したチーム」というものでした。

しかし、イメージ通り危なげない勝利を重ねている一方で、ドラマのような劇的な勝利もあり、改めて世代で頭一つ抜けた高校であったことに気づかされました。

明徳義塾は2002年の選手権優勝以降、選抜/選手権ともに決勝への進出はありませんが、準決勝への出場は度々あり、また初戦の勝利を積み重ねています。

2018年の選抜にも出場しており、初戦となる2回戦は勝利を挙げていますが、3回戦で敗れています。

2002年のチームは選抜では準々決勝で敗れましたが、夏までに成長し、選手権優勝を達成しました。

2018年のチームが夏までにどのような成長を遂げ、選手権でどういった成績を残すか期待したいと思います。


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