プロ野球コラム

【平成の怪物】中日ドラゴンズ・松坂大輔は令和でどんな輝きを見せてくれるのだろうか。

平成の怪物】中日ドラゴンズ・松坂大輔は令和でどんな輝きを見せてくれるのだろうか。

アイキャッチ画像:https://www.dailyshincho.jp/article/2018/04281130/?all=1

横浜高校時代、2年秋から引退までの公式戦で無敗を誇り、プロ野球の世界へ。

剛速球と切れ味鋭いスライダーを武器に、高卒1年目から3年連続最多勝を挙げ、

「平成の怪物」

と呼ばれるようになった松坂選手。

数々のプロ野球選手を輩出した年代の中心人物として、幾多の栄光を手にしてきた彼だが、順風満帆でここまで来たわけではない。

上手くいかず、バッシングを受ける中、奮闘しここまでやってきたのは、「もう1度、皆と喜びを分かち合いたい」という純真無垢な少年の気持ちが強いからであった。

甲子園春夏連覇横浜高校卒業後1年目から活躍

投手として、投球レベル・体力ともにハイレベルであったため、入団1年目から期待され、4月7日に初先発として起用された。

デビュー戦は日本ハムファイターズ。

そこで衝撃的な一球を投げ、周囲を驚かせた。

当時、現役バリバリで活躍中の片岡篤氏に投じたストレート、見逃せばボールの高めの球をボールの下を振り、崩れるような態勢でスイングを終えた。

球速は155㎞を記録した。球速もさることながら、うねりを上げた豪速球と、バッターが圧倒される形でスイングをしたということで、「しょせん高卒1年目の選手だろ」という意見を一新した。

その衝撃的な映像が、様々なところで流れるのは、こういった背景があるからだ。

 

次なるステップ-メジャーリーグ(MLB)へ!-

NPBで最多勝3回・最多奪三振4回・最優秀防御率4回。

8年間で積み上げた勝利は108に上った。

また、2006年に行われたWBCでは最多の3勝、防御率1.38の好成績でMVPを獲得。実績を積み上げ次に臨んだことは、

 

「世界最高峰のリーグで野球がやりたい」

 

そんな気持ちが強くなり、次のステージとして選んだのがMLB。

1年目に15勝、2年目は18勝と素晴らしい成績を残した。

だが、そこからの成績は鳴かず飛ばずに。

これは日本と違い、硬いマウンドや投球数を制限されるアメリカの環境と言われてきた。

そういった面もあるが、「言葉の壁」と「日本のメディアの注目が大きすぎた」からだと思う。

松坂選手は英語をほとんど喋れない。

海を渡った直後も「チーム・マツザカ」の面々に頼り、四六時中行動をともにしていた。

しかもボストンのクラブハウスには、松坂選手の専用ロッカーの前に日本から大挙押し寄せたメディアが、登板日以外でもコメントをもらおうと常に待ち構えている。

他のチームメートから奇異の目を向けられ、距離感ができてしまうのも無理はなかった。

いきなり日本からやってきた1人の新参者がロクに話もしないまま、デカい顔をしながら自分の国のマスコミに囲まれてヘラヘラしている

周囲の目には松坂選手がそのように映ってしまい、一部の同僚から「ビリオネア・マン(億万長者の男)」と陰で呼ばれながら散々コケにされていた。

球団が大枚をはたいて獲得したことを揶揄する意味が込められていたのは説明するまでもない。

もっとコミュニケーションに積極的な姿勢を示していれば、恐らくミゾは深まらなかっただろう。

しかし、彼にはメジャー1年目から大型契約に見合う活躍が求められ、マウンドで結果を出すこと以外に目を向けられる余裕などなかったように思う。

 

「メジャーではただ黙々と野球をやっている感じだった」

 

と、疎外感を味わいながらプレーし続けていたことを打ち明けている。

文化の違いと言語の壁にぶつかり、大きな悩みを抱え込んでいた。

MLBの理想と現実の違いに直面し、苦悩し続けていたのだ。

 

もう1度、みんなと喜びを分かち合いたい

松坂を古くから知る関係者は、こう言う。

 

「もう1度、日本で満足のいく結果を残し、皆と喜びを分かち合いたい。

原点に立ち返りたい、という強い思いこそが、今の松坂の原動力となっている。

それをホークスでは残念ながら果たせなかったことで、西武ライオンズ時代から親交の深い森(繁和)監督(2018年)とフロントのデニー(友利結、2018年)さんに頭を下げ、ドラゴンズ入団に最後の望みを託したのです」。

 

松坂選手自身、高校時代に切磋琢磨し、苦楽を共にしたチームメイトと優勝した思いが鮮明に残り、最高の瞬間のへの思いが彼を突き動かしていると思う。

 

松坂世代

「松坂世代」

 

野球ファンならだれもが知っている言葉であり、松坂選手(1980年9月13日生まれ)と同学年の世代を総称して呼んでいる。

松坂選手を目標として頑張ってきた館山昌平(ヤクルトスワローズ)選手がいたり、高校時代に松坂選手と投げ合う中、

「ピッチャーとして投げ勝つより、いつか打ち返したい」と打者転向へのターニングポイントと語る村田修一(元、横浜ベイスターズ他)がいたりと、数々の選手が松坂選手を目標にしていた。

日本のプロ野球には延べ94名が在籍した。

現在の松坂世代・これからに期待すること、松坂自身はどんなことを考えているのか

2018年、入団テストを経て中日ドラゴンズに入団した。

チームで2番目に多い勝ち星となる6勝をマークし、カムバック賞に輝いた。

その一方で、一時代を築いた「松坂世代」は現在、松坂選手とソフトバンクの和田毅投手、楽天の渡辺直人内野手、久保裕也投手、広島の永川勝浩投手、阪神の藤川球児投手、日本ハムの実松一成捕手兼ファーム育成コーチ、ヤクルトの館山昌平投手の8人だけになった。

名球会(通算200勝以上、通算250セーブ以上、通算2000安打以上)入りはまだ誰もしていない。

松坂選手は現在までに日米通算164勝(NPB107勝、MLB56勝)と、あと36勝に迫っているが、年齢を考えると「難しい」と大半の人達は思っているだろう。

ちなみに松坂選手と一緒のように高卒1位で入団しエースとして活躍後、海を渡った桑田真澄氏が日米通算142勝(NPB141勝、MLB1勝)で未達成に終わっている。

ただ、世代の象徴として降臨し、今なお野球に情熱を持ち奮闘している姿を見ると、これからまた輝きを見せ、達成出来るのではないかと希望を持っている人も大勢いるだろうし、平成の怪物の「令和」での輝きを見届けたいと、多くの者が待ち望んでいる。

現在は、キャンプで痛めた右肩炎症も癒えてきて、実践復帰は6月下旬とのこと。「もう1度、皆と喜びを分かち合いたい」気持ちを胸に奮闘する世代最強エースの、これからにみなが注目している。


参考サイト:

https://www.google.co.jp/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASL9G4TL1L9GUTQP01V.html

https://www.dailyshincho.jp/article/2018/04281130/?all=1

https://m.youtube.com/watch?v=14C2GBr_4VM

 

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