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西武の歴代キャッチャー特集・ライオンズの捕手世代交代の流れを解説

アイキャッチ引用:埼玉西武ライオンズ

各球団の黄金時代には、必ず名指揮官・名捕手と呼ばれる監督と正捕手がいました。

「埼玉西武ライオンズ(ライオンズ)」の黄金時代は、一般的に1986年から1994年のことを指しますが、この時の監督は森祇晶が務め、正捕手は伊東勤が務めていました。

黄金時代には投手力が注目されていたライオンズでしたが、その陰に万全の捕手陣がいたことは無視できません。

なお、この時代以降の捕手陣について、ライオンズの特徴は「正捕手の移行が比較的スムーズであった」ことになります。

多くの球団が正捕手の世代交代で苦しんでいますが、ライオンズはその点スムーズに移行できたと言えます。これは控えの層が厚く併用が多かったことが一因です。

例えば伊東が正捕手の時代であっても、控えには中嶋聡がいましたし、それは近年でも同様です。

ライオンズの捕手と世代交代の流れ

伊東は、2000年を越えても正捕手を務め2002年にベストナインを獲得しました。

しかしコーチ兼務という状況もあり、2001年オフには細川亨(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)を獲得。

2003年からは出場機会を増やし、野田浩輔と併用されながら正捕手になっていきました。

2005年オフには高卒で炭谷銀仁朗を獲得。

2006年シーズンが開幕すると、高卒新人捕手の開幕スタメンデビューで話題となりました。

デビュー後は細川との併用で出場機会を増やし2009年から正捕手に定着しました。近年は森友哉の台頭もあり併用が続いています。

以上、ライオンズの近年の捕手陣の世代交代について概要を説明しました。

「はじめに」の項でも説明しましたが、併用により育てていくことが特徴であり、控え含めたバックアップが強いことが分かるかと思います。

では次項より各選手について説明したいと思います。

伊東勤

1981年ドラフト1で入団。なお出身校は埼玉県立所沢高等学校(定時制)ですが、元々は熊本県出身で熊本工業高校に在籍していました。

これは2年時の選手権大会で才能を根本陸夫(当時ライオンズの監督)に見出されたことによる囲い込みでした。

昼間は球団職員として職務の傍ら練習に参加し、夜は通学するという生活を送っていました。

一年目から監督である広岡達朗とバッテリーコーチの森祇晶から厳しい指導を受けながら試合出場を重ね、三年目の1984年から正捕手に定着。

以降20年近く正捕手としてチームを支えました。打撃に関しては低打率のシーズンが多く、三割を一度も達成することは無く、通算では.247となっています。

一方で二桁本塁打を7回記録しており、パンチ力のある打撃が魅力でもありました。

また、通算犠打数の305はパ・リーグ歴代1位、通算盗塁数134は捕手としての日本記録となっており、小技と走塁力を兼ね備えた捕手でもありました。

守備に関しては、データのある1992年以降、シーズンでの捕逸5(2002年のみ)が最多であり、他のシーズンでは129試合の出場で守備率1.000を記録するなど堅実な守備が持ち味でした。

ゴールデングラブ賞を捕手としての歴代最多11回獲得していることか等も分かります。

一方で盗塁阻止率は通算で.341となっており低くはありませんが、名捕手とすると高くはありません。

これは現役が長く、現役終盤に成績を下げてしまったことが原因です。捕手としての通算出場試合数は2327を数え、これは歴代3位の記録です。

現役終盤でもチームからの信頼は厚く、最終年も73試合に出場しています。

伊東に関して特筆すべきは在籍中のチーム成績です。

実働22年のうち14度のリーグ優勝、8度の日本一を経験しています。なお選手としてセ・リーグ全6球団と対戦しているのは伊東のみです。

「チームを勝ちに導いている」という意味ではこれ以上の名捕手はいないかもしれません。

現役時代の背番号は入団から一貫して27番を背負っていました。同じ番号を背負う古田敦也らと同様に、捕手の番号としての27番の価値を高めました。

《守備に関係する表彰》

  • ベストナイン:10回(1985年〜1988年、1990年〜1992年、1997年、1998年、2002年)
  • ゴールデングラブ賞:11回(1985年〜1988年、1990年〜1992年、1994年、1995年、1997年、1998年)※受賞回数は歴代2位タイ、捕手部門歴代最多
  • 最優秀バッテリー賞:6回(1991年:工藤公康、1992年:石井丈裕、1996年〜1998年:西口文也、2002年:豊田清)

細川亨

青森北高等学校から青森大学を経て、2001年自由獲得枠でライオンズに入団しました。

一年目は二軍での試合が主でしたが、一軍での試合出場もありました。

二年目は開幕一軍で迎え、二軍降格もありましたが出場機会を増やしました。伊東に対し先発出場数こそ下回りましたが、途中出場を含めると20試合ほど上回りました。

三年目以降は正捕手としてチームを支えました。

怪我や口述する炭谷の台頭もあり、出場数を減らすシーズンはあったものの、正捕手として過ごしていた2010年オフに福岡ソフトバンクホークスへ移籍しました。

2016年オフには東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍、現在も在籍しています。

打撃に関して、打率は2割前後のシーズンが多く、確実性に欠けますが、二桁本塁打は3回記録しており、長打力はありました。

一方で犠打数は多く、年間20個以上を10年、うち1年は30個を記録するなど得意としていました。

守備に関しては、捕逸がリーグ最多となったことが2回ありますが、0個の年もあり、全体的には3個前後の年が多くなっています。

2006年〜2008年に盗塁阻止率リーグトップ(.469、.405、.361)を記録したものの、各年度でバラつきがあり、通算では,313となっています。

背番号は、入団から四年目までは47番、五年目のみ30番、六年目となる2007年から2016年までは球団をまたいで27番を背負いました。

2017年からは68番を背負っています。

《守備に関係する表彰》

  • ベストナイン:2回(2008年、2011年)
  • ゴールデングラブ賞:2回(2008年、2011年)

炭谷銀仁朗

平安高校から2005年の高校ドラフト1位にてライオンズに入団。

入団直後のオープン戦では、2本塁打、5割近くの盗塁阻止率をマークし話題となりました。

その流れで谷繁元信以来17年ぶりとなる高卒新人捕手の開幕一軍入りを果たし、更に谷本稔以来51年ぶりとなる高卒新人捕手の開幕スタメンデビュー、高卒新人では立浪和義以来の2リーグ制後4人目となる開幕戦での安打を放つなど、記録ずくめのデビューを飾りました。

更に翌日には当時19歳の涌井秀章(現・千葉ロッテマリーンズ)とバッテリーを組み初勝利。これは、1989年の横浜大洋ホエールズの石井忠徳(石井琢朗)・谷繁元信のバッテリー以来17年ぶりの10台バッテリーの勝利となりました。

さらに打撃面でも、清原和博以来20年ぶり、かつ高卒新人捕手としては初の満塁本塁打を記録。

松井秀喜以来となる高卒新人の1試合2本塁打も記録しました。

その後は細川のバックアップとして1軍に定着しシーズンを終えました。

二年目と三年目は出場機会を増やすも安打数以上の三振を記録するなど、打撃に課題があり、正捕手になるには至りませんでした。

四年目には出場試合数を倍以上にするなど飛躍し、正捕手として起用されました。

打撃でも成長を見せ、チーム最多の14犠打を記録するとともに、盗塁阻止率もリーグ2位の.333を記録するなど守備面でも成長を見せました。

五年目の2010年は怪我で1年棒に振るも、2011年は前年オフに細川が移籍したこともあり正捕手として自己最多の出場数を記録しました。

2012年以降は正捕手としてチームを支えていますが、近年は後述する森友哉や岡田雅利の起用もあり、出場機会は減らしていますが、捕手としてチームトップの出場は維持しています。

背番号は入団後から2008年までは37番、2009年から2011年は憧れの城島に合わせて2番、2012年以降は捕手のエースナンバーである27番を背負っています。

打撃では打率が2割に満たないことも多く、通算でのOPSは.531と低いです。

また二桁本塁打を放ったこともなく、長打力も決して高くありません。四球も少なく出塁率も低く、通算でも.248となっています。

守備面では捕逸数リーグワーストを2回記録しており、ブロッキング能力には難があります。

失策のリーグワーストも2回記録していますが、併殺のリーグトップは5回記録しており、守備難というわけではありません。

また、盗塁阻止率のリーグトップも3回記録しており、強肩を武器にした捕手になります。

《守備に関係する表彰》

  • ベストナイン:1回(2015年)
  • ゴールデングラブ賞:2回(2012年、2015年)
  • 最優秀バッテリー賞:2回(2009年:涌井秀章、2017年:菊池雄星)

森友哉

大阪桐蔭高校から2013年ドラフト1位でライオンズに入団しました。

中学時代から頭角を表し、NOMO Japanのメンバーとして、アメリカ遠征を経験しています。

大阪桐蔭進学後は、1年生の秋から正捕手を務め、2年生時には1学年上の藤波晋太郎(現・阪神タイガース)とバッテリーを組み、史上7校目の春夏連覇を達成しました。

3年生時にも春・夏で甲子園に出場しており、甲子園で放った通算本塁打5本は歴代4位タイの記録となっています。

さらに世界野球選手権に2連年族で出場し、2年連続でベストナインに選出されるなど超高校球の成績を残し、プロ野球のキャリアをスタートさせました。

一年目は開幕二軍スタートとなるも打撃で頭角を表し、一軍に昇格。

プロ初打席から二打席連続でヒットを放ちましたが、これは南海の湯上谷宏以来29年ぶりの記録でした。

さらに高卒新人としては中日ドラゴンズの江島巧以来46年ぶりの2人目となる3試合連続本塁打を放ちました。

高卒新人では史上初となる3本目の代打本塁打を放つなど活躍しました。

二年目となる2015年は打撃を活かし、指名打者や右翼手として出場機会を増やしました。

19歳で指名打者部門でのオールスターゲームファン投票で全ポジションを通じ両リーグ最多の得票数を獲得。

これは1955年の吉田義男、1995年のイチローの21歳を抜き最年少記録となりました。

さらにオールスターで代打本塁打を放ちましたが、10代の選手で放ったのは史上初。

また10代の選手が本塁打を放ったのは清原和博が放って以来28年ぶり2人目の記録になりました。シーズンではプロ通算20本塁打を記録。

高卒の選手が2年目までに20本塁打以上放ったのは松井秀喜以来21年ぶりとなりました。

2016年はシーズン中盤までは指名打者や外野で出場のみとなっていましたが、終盤は捕手としての先発出場をするなどし、捕手として26試合に出場しました。

打撃ではシーズン序盤から調子を落として二年ぶりの二軍落ちを経験しました。

これは開幕前に打撃フォームを変更したことが影響したようです。

前年度は体力不足から夏に成績を落としたことから、独特な低い姿勢の構えによる下半身への負担を軽減するため、上体を若干上げる構えとしたことで、打撃が狂ってしまったようです。

これは二軍降格時に、低い姿勢でのロングティーを行うことで、持ち前の低い姿勢でバテない体力を作ることで克服し、一軍昇格後は自分の打撃を取り戻していました。

2017年はシーズン開幕前のWBC強化試合で受けた死球による怪我で出遅れたものの、夏場に戦線復帰。少ない出場ながらも三割を大きく越える好打率を記録しました。

2018年は捕手三人体制(炭谷、岡田、森)を敷いているライオンズですが、その中で最も試合に出場しているのが森です。

強打でチームに貢献しつつ、経験を積み、最近では、珍しくなった「強打のキャッチャー」となることに期待したいです。

背番号は入団時から10番を背負っています。

10番の捕手では他に阿部慎之助(現・読売ジャイアンツ)がいます。

どちらも左打ちの強打者ですので、これから「強打の捕手」の背番号になるかもしれません。

打撃に関してはルーキーイヤーから数々の記録を打ち立てていることから、高い能力を有していることは間違いありません。

打率・出塁率が高いく、少々のボール球であれば打ち返してしまうコンタクト能力がある一方で、三振は多い傾向があります。

今後は打撃タイトルの獲得があってもおかしくないキャッチャーです。

守備面では、例年の守備率は.990未満でしたが、今年は現時点で越えており成長を見せています。

盗塁阻止率に関しては二塁送球のタイムが1.86秒でありながら、今シーズンは.294となっており、今一つの成績となっています。

まとめ

本記事では、近年のライオンズの正捕手を紹介しましたが、それぞれが少しずつ在籍年数が被っていることが分かるかと思います。

これにより若手とベテランの共存と技術の伝承がなされ、正捕手の移行がスムーズに行われていると考えます。

これは、各々の能力はもちろんですが、球団の編成力の高さも示していると思います。

今シーズンは捕手三人体制で好調を維持しているライオンズですが、「正捕手一人」ではなく、今後は複数人のキャッチャーで戦う球団が多くなるかもしれません。

そうなると、今後は今まで以上に多くのキャッチャーが試合に出場し、多くの名捕手が生まれるかもしれません。

それはそれで面白くなるので、他の球団も真似してもらいたいと思います。


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