プロ野球歴代最強特集

プロ野球・福岡ソフトバンクファンが考えるホークス歴代強打者TOP3

アイキャッチ画像引用:福岡ソフトバンクホークス

こんにちは、橘裕司です。

今回は、福岡ソフトバンクファンの方に、同球団の歴代強打者TOP5についてまとめてもらいました。

とても面白い内容になっていますのであり、ソフトバンクファンの方は共感を覚える内容だと思います。

橘裕司
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では参りましょう。

はじめに

近年では、12球団トップクラスの好成績を残している福岡ソフトバンクホークス(以下ホークス)ですが、球団創設は1938年と歴史があり、日本一には8回、リーグ優勝は20回を数えます。

さらに、この10年間でAクラス8回、うちリーグ優勝5回、日本一は4回、交流戦の優勝は7回を記録しており、まさに黄金時代を築いていると言えます。

ホークスというと、豊富な資金力をバックに必要な選手は必ず獲得するとともに、ドラフトと育成戦略にも優れ、外様と生え抜きのバランスの良さも特徴です。

また、広い福岡ヤフオク!ドームを本拠地としていますが、一発も有り2017年のチーム本塁打164本はリーグ1位です。

ちなみに1994年には「おっしょい打線(「おっしょい」は博多弁のかけ声)」、2001年は「ダイハード打線」と呼ばれ伝統的に打撃を前面に出した野球を得意としています。

今回はそんなホークスの歴代最強打者TOP3を紹介します。

なお今回選定するにあたっては下記条件を設けました。

  • 日本人であること
    ホークスは歴代の外国人選手に強打者が多く、外国人選手も含めてしまうと、TOP3を選ぶのが困難になってしまうことから、外国人選手は除外することとしました。
  • 1985年以降の入団であること
    実際にプレーを見たことが無い選手を選ぶことに抵抗があり、筆者がプロ野球を見始めたのは1990年代後半であることから、1985年以降入団の選手としました。
  • 他球団の在籍が有る選手はホークスに8年以上在籍の場合は選定対象とする
    生え抜きの強打者もいますが、他球団に行った/他球団から来た選手も紹介したいため、このような基準を設けました。

それでは下記より紹介させて頂きます。

小久保 裕紀

引用:小久保裕紀

星林高校から青山学院大学を経て1993年にドラフト2位で入団(逆指名)。

その後、ルーキーイヤーこそ不本意な成績でしたが、2年目から二塁手のレギュラーに定着すると、28本の本塁打をマークし、本塁打王に輝きました。

ちなみに、パ・リーグで20本台の本塁打王は1995年以前となると1961年まで遡らないと該当者がいません。

ですが、2012年に中村剛也選手が27本で本塁打王となっています。

また、1995年はイチロー選手も本塁打を25本記録しており、首位打者と打点王を獲得しているイチロー選手の三冠王を阻止する本塁打王となりました。

その後、長打力を活かしチームの主軸として活躍していましたが、守備に関してはチーム事情によりポジションが三塁手へ変更となります。

3年連続30本塁打(うち1年は44本塁打)を記録するなど、チームとしてだけでなくパ・リーグの顔としても活躍していました。

2003年のオフには当時球界が騒然となった「無償トレードでの読売ジャイアンツ移籍」により退団となります。

移籍先の巨人でも長打力を活かすとともに、主将に就任するなど、チームの主軸として活躍していましたが、2006年のオフにFA宣言し、ホークスに復帰しました。

復帰後も、全盛期ほどではないものの結果を残し続け、2000本安打を達成した2012年に惜しまれつつも引退しました。

背番号は、巨人在籍時は6番、ホークス在籍時は一貫して9番を背負っていました。

その功績から、9番は柳田悠岐が背負うまでは欠番となっていました。

選手としての特徴

膝の故障を抱えた一時期を除き、左足を高く上げた1本足打法が特徴です。

また、コンパクトかつアッパー気味なスイングも特徴で、その結果、大きく弧を描き滞空時間の長い本塁打を放っていました。

自身は「ヒットの延長がホームランではなく、自分のスイングの延長にホームランがある」と考えており、長打率は毎年のように4割以上を記録しており、通算の長打率は.496を記録しています。

出塁率は例年.350前後を記録している一方、打率は3割到達が2回と寂しい数字になっています。

また、三振も多く、通算の1516個は歴代で12位となっています。

また、二塁打も多く通算の381回は歴代21位になります。第一次のホークス時代は、毎年三塁打を複数回記録しており、盗塁数も二桁記録する等していましたが、巨人在籍時以降には三塁打はほぼ無く、盗塁数も2個以下となっています。

これは膝の故障が一因です。通算本塁打は413本記録しており、これは歴代16位の記録になります。

記憶に残る打席

2012年の日本ハムファイターズ戦で放った本塁打を紹介します。

既に引退を表明していた小久保選手でしたが、シーズン終盤の本拠地にて、小久保選手らしい放物線を描き、レフトポール直撃の逆転となる2点本塁打を放ちました。

ホークス在籍時ではなく巨人在籍時の動画ですが、あまりにも美しい動画なので紹介させて頂きます。

2005年の日本ハムファイターズ戦にて、江尻選手を相手に放った左右間の看板直撃145m弾になります。

小久保選手のフォーム・バット投げ、キャッチャーのガッカリ感、江尻選手のグローブ投げ、とすべてが美しい動画になっています。

松中 信彦

引用:松中信彦

八代第一高校から新日本製鐵君津から経て1996年ドラフト2位(逆指名)にて福岡ダイエーホークスに入団。

1年目こそ本塁打0でしたが、2年目には3本を記録し、3年目からは一塁手のレギュラーに定着しました。

その後は、複数回3割30本100打点を記録し、ホークスの主軸打者として活躍しました。

松中選手を語る上で無視できないのは、「最後、かつ平成唯一の三冠王」であるということです。

獲得したのは2004年ですが、この年は最多安打、最高出塁率含め実際は5冠王となっています。

守備に関しては、入団当初は外野手登録でしたが、レギュラー定着ともに内野手登録(一塁手)に変更となっています。

三冠王となって以降は、膝への負担から指名打者としての出場が主となっており、現役の終盤は再度外野としての出場もありました。

また2006年にはプロ野球史上最長となる7年契約を球団と結んだことでも話題になりました。

2015年オフにホークス退団後は、現役続行の道を模索していましたが不調に終わり、退団後の翌年となる2016年3月に現役引退を表明しました。

背番号は入団から3年目までは26番、それ以降は退団まで3番を背負っていました。

選手としての特徴

バットを身体の後方に引いて立てた構えから、一度右足を後ろに下げ、摺り足で前に出しつつ、身体ごとピッチャーの球に向かっていくような打撃フォームを特徴としていました。

現役の途中で一本足にフォームは変わりましたが、一貫してその打球は、同時期に主軸として活躍していた小久保裕記とは対照的にライナー性の打球が多く、それでいて飛距離も兼ね備えていたホームランバッターでした。

また苦手のコースや投手の左右による得手/不得手が無いことも特徴で、特にインコースの球をフェアゾーンの長打にする技術は他の追随を許さないものでした。

首位打者は2回獲得しており、三振数は一度も100個超えたことがないなど、巧打と確実性も備えたバッターでした。

また選球眼も良く、リーグ最多の四球数を2回記録しています。様々な打撃タイトルを獲得しているものの、すべて2003年から2006年の4年間に獲得したものであり、2007年以降は持ち前の技術と勝負強さで単発の結果を残すものの、シーズン通しての結果は芳しくなく、現役の終盤は2軍で過ごすことが多く、全盛期が短い選手でもありました。

これは膝、手首の怪我の影響や統一球の影響が一因です。

ちなみに高校時代に左肩を故障し投げられなくなった際、当時の指導者に「まだ右肩がある」と言われ練習した結果、右投げでも遠投80m投げることが可能になったそうです。

記憶に残る打席

2001年の西武ライオンズ戦、松坂選手を相手に放った本塁打を紹介します。

この試合、松坂選手のインコースの直球を持ち前の技術で上手く捌いた松中選手ですが、バッドを折られてしまいます。

勝利を確信した松坂選手でしたが、打球は130m飛び本塁打となりました。

これは当時やっていた「珍プレー・功プレー大賞」で紹介され、また相手が全盛期の松坂選手だったこともあり、プロ野球ファンの度肝を抜いた本塁打となりました。

2009年に楽天ゴールデンイーグルス戦で放った本塁打を紹介します。

インコースの厳しいコースをファウルにし、最後にきたインコースを綺麗に裁きスタンドインさせました。

松中選手の技術が分かりやすい動画なので是非見てみてください。

城島 健司

引用:城島健司

別府大学付属高校から1994年ドラフト1位でホークスに入団。

この時城島選手はプロ入り拒否を表明していましたが、ホークス陣営は強行指名を実施し、次期監督に内定していた王監督の要請もあり入団を決めたようです。

しかし、この件きっかけとして、これ以降はプロ入り拒否の選手はドラフトにて指名できないというルールが決められました。

2005年オフにFA宣言し、シアトル・マリナーズに入団。日本人の捕手として初めてのメジャーリーガーなりました。

違う言語やリードへの考えの違い等で徐々に成績は下降していきましたが、チームの新人最多本塁打(18本)を記録したり、両リーグトップの盗塁阻止率を記録する等、一定の成果はあげました。

2009年オフに日本球界へ復帰、阪神タイガースとホークスが獲得に乗り出すものの、結果的にホークスが獲得を見送ったこともあり、阪神タイガースに入団し、2012年の引退まで在籍しました。

入団当初は、打力の評価は高い一方、捕手としての評価は高くなかったことから、一塁手の練習や出場もありましたが、二軍での英才教育や、当時ホークスに在籍していた工藤選手や武田選手等の先輩投手、若菜選手等の先輩捕手から指導もあり、3年目以降は正捕手として活躍しました。

特に工藤選手との師弟関係は、他球団ファンからの記憶にも残っています。

背番号は入団から2番を背負っており、これはホークス以外の球団でも同様でした。

選手としての特徴

捕手にも関わらず強打を誇り、日本球界での14年、メジャーでの4年で3割を7回記録しており、20本以上の本塁打を6回記録しています。

特に低い球の処理には定評があり、ボールをすくい上げる様にして打撃が特に印象的でした。

特徴は、左方向への打球が多いことで、典型的なプルヒッターでした。

打撃タイトル獲得の経験はないものの、毎年打撃タイトルTOP10には名を連ねていました。

通算の安打数は1837本を記録しており、通算本塁打は292本を記録しています。

なお日本球界で積み重ねた本塁打は244本で歴代では65位になります。

また、早いカウントから積極的に打ちにいくスタイルであったため、三振が少ない反面、四球も少ない傾向がありました。

一方で、盗塁は一度二桁(10回、2003年)を記録しているものの、足は速くなく、プルヒッターであることもあり併殺打は多い選手でもありました。

記憶に残る打席

2000年の日本シリーズ巨人戦にて、元師匠の工藤選手から放った本塁打を紹介します。

内角低めのボールゾーンの球を、姿勢を崩されながらもすくい上げ、レフトスタンドへ放り込んでいます。

ボールゾーンでも手を出す城島選手の積極性と、体勢を崩されながらもスタンドまで届かせるパワーを物語る動画になっていますので、是非見てみてください。

2005年のオールスターにて、これも元師匠の工藤選手から放った本塁打を紹介します。

初球に直球、二球目に変化球を投げた工藤投手に直球を要求し、それに応えた工藤選手が投じた直球を本塁打にしました。

自分の近くまで呼び込んだ打球をすくい上げ、レフトスタンドで放り込む特徴的な打球になります。

まとめ

筆者の独断と偏見で3人の打者を選定させて頂きました。

近年のホークスは「30本塁打カルテット(松中選手、城島選手、井口選手、バルデス選手)」がいたりと選定は非常に困難でした。正直、他にも紹介選手はいましたが、皆さんそれぞれが思う最強打者はいると思いますので、これを機に記録や動画を見返して見て頂ければと思います。

また、現役では内川選手、松田選手、柳田選手等、歴代最強に名を連ねる可能性の高い選手が未だプレーをしています。

他球団のファンも、それらの選手が今後どのような成績を残すかにも注目してみると、より野球が楽しくなるかもしれません。

本記事が、ホークスの選手への関心とともに、プロ野球へのより強い関心へのきっかけとなると幸いです。


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