こんにちは、橘裕司です。
今回は、突然ですが野球にかこつけて「いじめ」の話をしてみたいと思います。
最近、親戚の子供がいじめにあっているという話を聞いて、自分も昔いじめられてたな、と思い出してしまったのです。
組織の中ではどうしても浮いた人間がいじめの対象になったりしてしまうのがこの日出ずる国・Japanの特徴です。
私自身、中学1年生の時に同学年のチームメートに相当ないじめを受けました。
このいじめがきっかけで野球を辞めようとも考えたことがありますね。
いじめというものは何があっても悪いのは「加害者」です。
被害者にも原因があるなんて言う人間なんて信用してはダメかと思います。
昔から、被害者になる人間は決まっており、皆と「少し違う」人間がいじめの対象になることが多いです。
加害者はそこに着目し「優越感」と「自尊心」を得るためにグループを作りいじめを始めます。
しかし、社会に出て、色んな人と関わっていく中で私が気づいたのは、「少しの違い」というのは「個性」だということです。
その個性は、いじめのきっかけになるものではなく、寧ろ尊重されるべき、尊敬されるべきものだと思うのです。
しかし、人はいじめられるのが嫌で、「強い者」が好むキャラクターを演じ、自分に被害が及ばないように「個性ある」人間を攻撃し始めます。
では、このような加害者を突破した私の物語を少し綴っていこうと思う。
現在いじめにあっている球児がもしいたら、参考になれば良いなと。
Contents
僕へのイジメの始まりは、人よりも「ただ」大人しかったということ

野球部といえば、大きな声を出す人間、元気のある人間がいるのが世間では普通と認知されていますね。
でも、私自身は大きな声を出すのも苦手だし、中学1年生の頃は野球の実力もなくて自信がありませんでした。
野球部恒例の「声出し」でも大きな声で自己紹介できたら練習に入れる、という私には拷問のような儀式があった。
もちろん周りが「声出し」をクリアして、どんどん次の練習へ行ってしまう中、私だけが最後までコーチに声出しのやり直しを命じられ、居残り出ない声をずっと出し続け、とても恥ずかしい思いをした記憶が残っています。
チームメートには、
「あいつ野球もうまくないのに声さえ出ないのかよ」
という陰口も何度も聞いたことがあります。
私の声を真似て泣きそうになっている私のモノマネを大勢の前で披露するチームメートもいました。
合宿があり、大部屋で皆で過ごす時間はずっとチームメートは私をいじり続けた。
あぁ、こんなに辛い思いするくらいなら、
「他のチームに移籍しようかな」
でも同じような人たちがいるなら、
「もうこの際野球なんて辞めてしまおうかな」
と思っていた辛い時期でしたね。
これが実に1年続きました。よく耐えたな、と思いました。
加えて、クラブチームだったので親の繋がりもありますが、子供が家で僕のことを話しているので親の間でもイジメが発生、私の母親もママさん界隈でイジメの対象になりました。
転機は監督の一言・人生はある日突然変わるもの

私は当時のいじめを「ネガティブな要素」ではありますが、
「野球がうまくなって、二度と俺に盾突けないようにしてやる」
と誓い、一日500〜1,000本の素振りを始めました。
無我夢中に振りまくり、これを半年間続けました。
すると、ある日ティーバッティングの練習中に監督が直々に私のバッティングを見に来ました。
そして私に、
中学1年生の中でも最下位の野球レベルを争っていた私が、2年生になった途端、上級生(3年生)の試合で8番バッターを任されることになりました。
これはチームを揺るがす大ニュースでしたね。
もちろん、チームメート達は、
と心ない言葉をたくさん掛けられました。
正直、私は小心者なので心の中では死ぬほど練習して来たけど本当に試合でなんて打てるのだろうか?練習試合こそ、今まで何度か出場してきたけど、結果を出したことなかったな、と緊張していましたね。
この試合が実に半年ぶりの出場だったんですよ。それまで完全に干されてました。
後日論ですが、バッティング練習で良い打球を放っていたので、チャンスを良いタイミングで与えようということだったみたいで、上級生の練習試合がそのタイミングにきたということだったんですね。
結果を出した時に広がる世界・コツコツと努力することはほんと〜に大事

その試合、僕はレフトオーバーの三塁打を打ちました。
自分でも驚きました。その時に、自分の中で何かの扉が開かれ、
という自信が生まれました。
そして、その次の練習試合もレギュラーメンバーで出場し、どんどん打順を上げ、公式戦では遂に2年生にして3番打者として定着しました。
この自信から、またレギュラーメンバーをいじめているという負い目からか、私に対するいじめは途端になくなりました。
試合で結果を出すたびに、周りの目は私へのリスペクトに変わっていったし、私にバッティング指導をお願いする同級生も出て来ました。
自信が出たといっても私が声をたくさん出せるようになった訳ではないし、同じような声出しの儀式があれば僕はまた最後まで居残りになるでしょう。
しかし、周りの目は明らかに変わり、私の母親へのママさん界隈のいじめもなくなりました。
組織の中での影響力、権力などの強さは、
「実力」
でシンプルに突破できます。
そしてこれは私が野球の才能があったからでもなんでもなく、社会人になって思いますがひたすら「コツコツとすぐに結果が出なくとも諦めずに」素振りをしたことが一番の要因だったと思います。
世の中に本当に努力ができる人間というのは限られています。猛烈なモチベーションがないと続きません。
当時の私は、
「みんなを見返してやりたい」
という「ネガティブ」な思いでしたが、猛烈なモチベーションになりました。
いじめられているのであれば「見返してやる」というモチベーションに転換できることに気づきましたね。
これまた、私が強い人間だからという訳でもないですし、根底には野球がどうしても続けたかったという思いがあったのだと思います。
もしあなたが周囲を見返してやりたいと思っても、練習にモチベーションが上がらないのであれば、他のスポーツや分野の「努力できるもの」を探してみると良いかと思います。
人にはそれぞれ情熱が注げるものは異なるものです。私は幸運にもそれが野球だっただけです。
あまり難しく考える必要はないです。
いじめられるのは君のせいではない、でも突破するのは君自身だ

冒頭の私の言葉をもう一度繰り返すと「イジメ」は100%加害者が悪いです。
イジメを受けている君に責任は何一つないです。
でも、もちろん親やイジメの主犯を殴ってみれば一時的に解決するかもしれないですが、それではチームメートとの溝は深まるばかりです。
私が実力で追い抜けと言っているのも野球の才能があったからじゃないのか?というものでもありません。がむしゃらに練習の「量」をこなしたからに過ぎないのです。
もちろん、プロ野球の世界での話となると別ですが、はっきりいって高校時代までの野球の実力差は「練習量」のみです。
いつでも物事は「質」より先に来るのが「量」です。
あのカニエ・ウエストでさえ1日5曲作ってたというのですから。
私の練習の話をもう少し具体的にすると、最初はただひたすらに何も考えずにバットを振っているだけでした。
スイングスピードは劇的に向上しましたが、それでも中々打てるようにはならず、疑問を持ち始めました。
当たらなければ意味がありませんね。私は同じ素振り量を頭の中でピッチャーをイメージし、インパクトの瞬間を意識してバットを振るようになりました。
次に、フリーバッティングの練習で、どうも打球が伸びていかないことに気づきました。
そこで私は立浪選手のバットの振り方をビデオに録画して一日に何十回も見て研究しました。
そして、バッティングの肝である、腰の使い方が僕はできておらず、手だけでバットを振っていることに気づきました。
そこで腰を意識し、同じ量のバットを振りました。
このような練習方法は「量をこなしている」からこそ思いつくし疑問を覚えるようになります。
そして自分なりの練習方法を編み出していけることになるのです。
私が上級生のチームでクリーンナップを打てたのは、練習をひたすら続け、改善を重ねたからこそ圧倒的な長打力を誇る打者になったからです。
野球に関しては才能が絡んでくるのはメジャーリーグにいけるとかプロで三冠王を取るとかそのレベルにいってからだと私は思っています。
そこまではたゆまぬ努力で絶対に浮上できる。この記事での私のメッセージは、
「いじめはバネにしてしまおう」
「とりあえず死ぬほど努力して突破してみよう」
というものです。(少し暴論ですいません)
負の力を利用して野球に全力を出してみましょう。努力をしている内に、雑音はどんどん聞こえなくなります。
イジメで時間を使っているイジメグループの時間・エネルギーを、私たちは野球の練習に使いましょう。
見てくれる人は絶対見てくれています。
以上、『陰湿な野球部のイジメ』をチャンスと捉え負の力で突破してしまおう…の話題でした!