こんにちは、橘裕司です。
最近面白い問いがありましたのでこの記事に訪問してくれたあなたにも紹介です。
実際、このような会話は私の母だけではなく、多くの人が思っていますし、私が高校野球をやっている時も自分自身、
と思っていましたね。ですが社会に出てからは勘違いであることに気づきました。
という訳で、今回は「根性野球」さながらで高校球児時代を過ごしてきた私が、社会に出てあの厳しい練習はどのように役立っているのかというお話をさせて頂きます。
結論から言ってしまうと「高校野球で鍛えた根性」は社会人になってから全く役に立っていません。
寧ろ「負の要素」をいっぱい運んできてます。
私が高校球児だった頃、頭には野球しかなく、勉強は一切してませんでした。でも、誰も僕に「勉強しろ」と言ってくれなかったのです。
大人たちは言いました。
いや、これ全然大丈夫じゃない。ではいきますよ!
Contents
そもそもスポーツで培われる「根性」とはなんだろう?


そもそもこの「根性」という言葉、定義はなんなのだろうか?
非常に曖昧ですね。
- 根性 = 苦しいことにも耐えられる?
- 根性 = 死ぬほど努力ができる?
わからないので調べて見たら、2の物事をあくまでやりとおす、たくましい精神。気力。
「根性のある人」
「見上げた根性の持ち主」
ということでしょうか。
【根性】の意味
その人の本来的に持っている性質。しょうね。また、あるものに特有の性質。「根性の腐った奴」「島国根性」「やじ馬根性」
物事をあくまでやりとおす、たくましい精神。気力。「根性のある人」「見上げた根性の持ち主」
引用:https://dictionary.goo.ne.jp/jn/83571/meaning/m0u/
なるほど、高校野球を必死にやっていれば物事をやり通すという感覚は理解できるのかもしれません。
そして、その「物事をやり通す」という根性は会社で働くことになっても必須とされる能力ですね。
苦しい高校野球を3年間やり通したのであれば、会社での仕事なんて「体力的には」楽勝でしょう。
でも、高校野球を三年間やり通したというのは、「野球」が好きだからではないだろうか?

上記では、高校野球の厳しい練習をやり通したのであれば「物事をやり通す」根性がつくと軽く結論付けてしまいました。
しかし、高校球児が野球を頑張る理由って「野球が好きだから」ですよね。
高校球児にとっては「甲子園に出たい」とか「試合に出たい」とか高校野球に取り組む動機は様々ですが「野球が好きである」という根幹があります。
ですので、実は、「根性がある」から野球を頑張っている訳ではないんですよね。彼らが野球が好きなのに「サッカーがんばれ」なんて言われても同じように頑張れる訳ではないのです。
ゲームが好きな人は夜通しゲームをプレイしますよね。あれと一緒なんですよね、基本は。
例外として「高校の部活で野球を嫌々始めて」「3年間野球のこと好きになれなかったけでやりきった」というのであればそれは確かに根性です。見上げた根性です。
私の母を始め、みなさんが勘違いしているのですが、「好きなことをしているだけ」なので根性なんてつかないのですよ。
但し「好きなことをやり通す」というのはとても素晴らしいことであることに異論は全くありません。
それでも、「忍耐力」は身につくのでサラリーマン属性になれる

社会には色々な不条理があります。ドラマとかでみる予期せぬ地方への異動、社内いじめ、鬼の残業、などなど。
このような社会で生き残れるのが先ほど申し上げた、「野球が嫌で嫌でしょうがなかったけど3年間高校野球やりきったよ!」という高校野球で鍛えた根性(野球嫌い人)」。
もう会社からしたらピカイチ、絶対に採用しておきたい種類の人間です。
反対に好きなことに情熱を注いできた人たちは意外と「これは俺が求めていた仕事ではない」と好きなことを探す傾向にあると思います。
しかし、「好きなこと」の中にも「辛い」時期は必ずあります。
好きな野球が上手くなるために頑張っているけど、どうしてもモチベーションが上がらない時ってありますよね。
人間とはそういうものです。モチベーションが低い時に「100mを100本ダッシュね!」と指示され、嫌々走ることもあると思います。この時に身につくのが「忍耐力」ですよね。
この「忍耐力」がサラリーマンとして生き抜く重要な特性です。
但し、この忍耐力も身についていないと、会社の歯車になって嫌いな仕事をするより、自分の人生だし好きなことをして過ごしたい!と他のステージへ羽ばたきます。これも私は良いことだと思ってますけどね。人生は人それぞれです。
でも、一つのことを目標に向かって3年間努力を継続した価値はやはり大きいよね

ここまでの話はそもそも高校野球に情熱を燃やした人たちが社会不適合というものではないです。
各人が野球を好きだと思い、一生懸命プレイして、もっと上手くなろうって3年間努力したというのはとても価値のあることです。
3年間野球を練習してきて、引退後に1年生の頃の自分を思い出すと本当に野球が下手だったのではないでしょうか。
その実感が持てることこそが一生分の価値があるんです。
野球をたとえ辞めて社会に出ても、何か好きなことを見つけて、新たに何か習得したいと思った時に、野球と同じ要領で努力を継続してけばいいんです。何事も、身に付けるのは努力を継続することですから。
嫌になることがあるかもしれませんが、少し粘ってみて、それでも嫌だったら辞めましょう。それはあなたの好きなことではないです。
何か「好きなもの」をまた見つけて、野球と同じように努力しましょう。結果は勝手についてきます。
結局何を言いたいかというと、社会に出てからのことなんて考えず、目の前の大好きな野球を頑張りましょう!という私のただの独り言です。
以上、『根性野球』厳しい練習を耐え抜いた球児は社会でも活躍できるのか?…の話題でした!